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Eテレでお馴染みの汐見先生に聞く!子どもの非認知能力と金融教育の関係とは?〜前編〜

小学校では昨年から、高校では来年から新しい学習指導要領がスタートします。新しい学習指導要領のテーマは「生きる力 学びの、その先へ」となっており、非認知能力の重要性がこれまで以上に前面に押し出された印象です。

一方、2022年度から高校の授業で「投資信託」に関する内容が盛り込まれることになりました。今後は中学生、小学生にも金融教育が本格化すると予想され、子どもの金融教育の分野はにわかに話題となっています。

今回はNHK Eテレ「すくすく子育て」などにも出演されている東京大学名誉教授の汐見稔幸先生に金融教育と非認知能力の関係について伺いました。

インタビュー動画も公開中!

今さら聞けない「非認知能力」

Q:ここ数年、非認知能力という言葉が市民権を得ているように思いますが、改めて、非認知能力とはどういうものでしょうか?

汐見先生:正直言って、言葉があまり良くないですよね。“非”認知能力なんてネガティブなイメージが残っちゃっていると思うんですよね、みなさん。計算がちゃんとできるだとか、正確に記憶しているだとか、公式をちゃんと覚えて再現できるとか、論理的につじつまの合ったことが言えるとか、漢字がたくさん読み書きできるとか、そういうのは分かりやすく言えば「認知能力」といいます。「認知」というのは「cognitive」という言葉の翻訳です。

一方で、好奇心が豊かだとか感情をコントロールするのが上手いだとかは 「何能力」って言ったらいいんだろう、ということで、認知じゃない能力、つまり「“非”認知能力」という変な名前になったんです。

分かりやすくいうと「学校で身につける学力が高い人が、社会に出たときにいい仕事をしてみんなから評価されるような生き方をしているかどうか」という事が、アメリカなどでずっと調査されているんですね。

結論からいうと、「学校での学力が高い人」=「社会で活躍している人」ではない、ということが分かったわけです。社会で必要なのが仮に「実力」だとしますと、「学力」=「実力」ではない、ということです。

その逆の調査で、「社会でリーダーシップをとりながら良い仕事をしている人たち」について調査が行われていくと、例えば、計算がすごく早くできるとか、歴史の年号を全部覚えているだとか、公式をいっぱい覚えていて計算がぱぱっとできるとか、いわゆる学校での学力が高い人が、社会ですごく良い仕事や、オリジナリティあふれる仕事をしているかというと、全くそうとは限らないということがわかってきました。

社会で良い仕事をしているような人、30代までは苦労したけど40代で急に花開いたというような人たちっていうのは、学力とは違う能力を持っている。その正体が永らく調査されてきた結果が今出てきているんですね。

分かりやすくいうと、社会では失敗することがいっぱいある、落ち込むことがいっぱいある。恋愛だってうまくいかないこともあるし、自分が育てた子どもが不登校になって「どうしようか」というような悩み事はしょっちゅうある。

そういう時に、「失敗なんてしょっちゅうあるよ」「良いこと学んだんじゃないか」と失敗から学ぶのが非常に上手だとか、試行錯誤するのが上手いとか、そういう人たちの方が社会に出て、長い人生の中でやがていい仕事をするようになっていく。そういう「めげない力」というのか、「試行錯誤力」というのか、「失敗なんてないよ」というようなある種の精神のタフさというか、そういうものが高い人は、まず良い仕事をしている。

さらに別の言い方をすると、感情が落ち込んでいる時とか、ネガティブな状態になった時に、その状態が長く続く事をできるだけ上手に避ける。

要するに、「やらねばならない」ということは社会にいっぱいあるわけです。「これやっとかなきゃならない」とか「朝起きてご飯作らなきゃいけない」とか、そういうのを「やらねばならない」という気持ちでやっていくと人生つまらないわけですよね。窮屈になっちゃう。だから、「やらねばならない」じゃなくて、これを「やりたい」ということに変えればいいんだと。

例えば子どもだったら、期末試験だとかの試験があって、「これ覚えたくないけど覚えなきゃいけないんだよな」と思うようなことがあったとするでしょ。その時に「集まって予想問題作りあいしない?」とか「あの先生だったら絶対こういう予想問題だから、当たったら1題100円ずつ出そうな」とかそんな風にして試験勉強を「予想問題作り」に変えちゃうわけ。そしたら「当たったー!」なんて言って少しお金もらうと同時に、問題作るときに覚えちゃうわけですよ。日々の料理だったら「誰にも負けないような料理つくれるようになってみたい」と考えるとかね。「誰もやってないような料理を勉強してみるか」とか。「子どもが『パパこれ美味しい!』って言ってくれるのが生きがいなんだよな」と思えるんだったら、「やらねばならない」が「したい」に変わっていきますよね。

結局、人生上手に生きてる人っていうのは、同じ「やらねばならない」ことだったら、これを工夫して「やりたい」ことに変えちゃおうとする。

人生全てで、「やだなぁ」というようなネガティブな感情をポジティブに変えられるというようなこと。専門用語では「情動コントロール力」だとか「感情コントロール」とか「感情知性」と言う人もいます。そういうものが高い人が、実際はいい仕事をしている。

そういう人は、他人が落ち込んでいる時も励まし方がすごく上手です。「この人はこういう性格なんだから、頑張れなんて言ったら『頑張ってるのに…』と思うかもしれない」とか

「この人には『充分頑張っているんだから神様は見放さないよ』と言う方が『そうかもしれない』と思うかもしれない」など、そうやって人を立ち上がらせるのが上手です。そういうものを広く「感情コントロール」などと言います。

あるいは「色んなものに好奇心がある」だとか。「いつのまにか色んな本をたくさん読んでいる」とかね。好奇心が豊かだと、さっき言ったみたいに「やらねばならない」を「やりたい」に変えるのがうまくできるわけですよね。そういう意味で、幼い子どもの様にとにかく好奇心旺盛で1つ興味を持つと自分でどんどん調べていく、そういう風な人間も実は社会でいい仕事をしている。そういうのがズラーッと研究されてきている。

分かりやすくもう一度まとめると、非認知能力とは

①好奇心が豊か(試行錯誤力がある)
②コミュニケーション能力が豊か(人を上手に元気にできる)
③感情のコントロール力(ネガティブな感情をポジティブな感情に変えていく)

そういうのが上手な人というのが、「社会の実力」が高い。学校で点数を取るために一生懸命勉強する、それが上手にできたと示す学力というものと「社会の実力」は直接には重ならない。「学校で勉強できたとは思えないけど、なんかいい仕事してるよな」という人は、実はそういう「社会の実力」を本当は持っていたわけです。それで社会に出ると色んな体験をしながら、それを生かして実績を上げていく、というようなことが分かってきたんですね。

人間としてのたくましさだとか、あるいは優しさだとかね、そういう「人間力」と言ったらいいのかな。「生きる力」と言う人もいますけれども。そういうものを指しているんであって、特別に新しい能力が出てきたわけじゃなくて、昔からみんな「そうなんじゃないか」と思っていたものなんだけど、日本はあまりにも学校の点数が高い人が社会的にもいい仕事をするんじゃないかと思い込まれすぎてるんですね。でも実際は必ずしもそうじゃない。

学校の試験というのは正解を問うだけで、例えば「あなたはこの本のどこに感動しましたか?」と問うようなことは試験問題にならないわけですよ。でも「ここが面白かったな」と言える人の方がずっと面白いわけ。だから試験で測られる点数、つまり認知的な能力というのはすごく限られたものなんですね。だから学校の点数はそんなに高くなかったけれども、社会に出た時に常に生き生きしてるよというような人たちがたくさんいるんですね。

そういうことを前提として、認知能力ばかり競わせて高めるような子育ては考え直そうとなった。非認知的な能力、「生きる力」はどこで高まるのか。それは基本的には遊びが豊かな子じゃないのか。なんでも遊びにしてしまうような子。

だから小さい時から面白おかしく遊ばせる。わからなかったら図鑑で調べる子とか、「今度、博物館連れて行ってよ!」と言うような子が、将来すごく楽しみだと、そういう意味だと思って下さればいいですね。

社会で生きていくために必要なのは「認知能力 × 非認知能力」

Q:認知能力と非認知能力は、どういう関係なのでしょうか?

汐見先生:非認知能力が大事だと各国でも言われ始めました。まるで今は「非認知能力がすべてだ」というようなニュアンスのことも言われるんですが、では「認知能力はまったく必要ないのか」というとそれは全く違っています。人間の基本的な能力には大きく分けて二種類ある、ということなんですね。その分け方も今の学問を背景にして2つに分けているので、将来変わるかもしれません。

例えば、本をちゃんと読めるということも大事な能力ですよね。「どう考えても、言ってることが矛盾してるよな」と分かるとか。それから、数学で図形の問題を解いていて「ここにこう補助線を引いてみたら・・・あ、見えてきた!」というように色々なことを発見していくことによって、すごく面白い図形の世界が見えてきた、というようなことも大事な能力ですし。

だから、認知的な能力はどうでもいいんだというのは全く間違っていて、すごく大事な能力なんです。だけどそれだけでは社会に出た時に、社会でいい仕事をすることとは直接つながらないんだということが分かってきた。むしろもう1つの能力である「非認知能力」が豊かな人が、社会に出た時に上手にやる。

分かりやすい例で言うと、ビジネスで英語が必要な時に、非認知能力が豊かな人は「自分にはこうした勉強法が面白いだろうな」とか「アメリカ人の友達を紹介してもらおう」とか色々な学習方法に気が付くとか、発想が面白いというところはある。

でも英語をしゃべるというのは、認知能力なんですね。だから両方とも必要なんです。だから、本当に人間として社会で生きていくために必要なのは、「認知能力 × 非認知能力」。足し算ではなくて。お互いが高まって補い合っていくということだと思った方がいいですね。

それから、認知能力を身につける時も、学校や塾などで公式をたくさん覚えていくような機械的な暗記はなるべく止めた方がいいです。そうしないと同じ学習をしていても非認知的なスキルが高まらないような学びになっていくわけ。

実は、1つの学びの中で、認知的なスキルも非認知的なスキルも両方身につくんですよ。だけど、まずい授業をやってしまうと、認知的なスキルは多少伸びても、非認知的スキルは全く伸びていかない。

例えばね、「1+1=2か?本当にそうなのか?確かめたのか?」と生徒に問題を出す。「水1リットルとアルコール1リットルを足したらいくつになる?」と実際に実験してみるんです。そうすると、2つを混ぜ合わせてみると1.9リットルちょっと位しか無い。2リットルにいかない。1足す1が2になるものというのは、実は世の中には少ししかないということが分かる。足し算ってそんなに簡単なことじゃないんだな、と分かるんです。

他にも「鉛筆1本とキリン1頭を足してみて」という問題を出してみると「鉛筆とキリンをどうやって足すの?」と悩むかもしれない。そこでおとぎばなしの世界を想像してみる。森で鉛筆くんが「キリンさんは背が高くていいね、高いところが見れて」と言いました。するとキリンさんが「鉛筆くんは小さくていいね、ぼくは足元の方なんて見えないんだ」と言いました。そこへ他の子がやってきて、「クッキーを作ったから配ってるんだ」と話しかける。「じゃあ鉛筆さんにクッキーを1枚、キリンさんにもクッキーを1枚。鉛筆さんとキリンさん合わせて2枚ね」なんて言う。そうすると、鉛筆とキリンが足せた。そこで「足せるって一体なんなんだろう」となる。「足せるって、仲間にするってことなのかな」とか考える。「でもアルコールと水を足したら2にならないよな」とも思う。

そこで、こちらから答えを出さず、子どもに考え続けるよう言うんです。こういう風に答えを出さずに宙ぶらりんにした授業をやったら、子ども達は考え続けます。粘り強く、諦めずに考え続けるというのは、非認知能力なんです。

認知能力も非認知能力も、我々が勝手に分けているだけで本当は両方とも必要なんですね。だから「これからは非認知的スキルの時代だから学校でやることはどうでもいいんだ」ということでは全くないんです。両方とも必要だし、その2つが上手に身につくような教育を大事にしてほしいということなんですね。

非認知能力を伸ばすのに、年齢制限はない

Q:非認知能力は早いうちから身につける方がいいものでしょうか?弊社は小学生〜中学生向けのサービスを提供していますが、非認知能力を伸ばすのに年齢制限のようなものはあるのでしょうか?

汐見先生:日本人はなんでも年齢で区切るのが好きな気がしますけどね(笑)

例えば、色々なものに豊かな好奇心を持っているとか、試行錯誤したり、失敗しても繰り返し工夫してみたりするのは、もともと人間が生まれつき持っていた能力なんですよ。それをハイカラに言っているだけで。「非認知的な能力はいつから身につくんですか?」と聞かれたら、「はい、生まれた時から身につきます」と答えます。普通は勝手に身についていくものなんです、遊んでいれば。ですから、非認知的なスキルを伸ばすためには特別なことをする必要はないんです、本当は。特に赤ちゃんの頃から「探索すること」、これを僕らは「探索活動」と呼ぶんですが、「これはなんだろう」「これはどうなるんだろう」というものです。

例えば、ふすまを指で突ついて「あ!穴空いた!面白い」という体験(笑)。そういういたずらみたいなものですけどね。できるだけそういうことを危険がない範囲で、緩やかにさせてあげる。それから、「この子はいまこういう事に興味があるのかな」と思ったら、そういう遊びをいっぱいさせてあげるとか、時々は自然の中に連れ出してあげて「アリさんいっぱい歩いてるね、どこまでいくのか一緒に行ってみようか」とか。

子どもが興味を持った事に対してどれだけ深くそれに付き合うか、興味のある物の本を読んであげようとか、子ども本位で遊びや探索活動を丁寧に保障してあげる、それだけでいいんです。

そうすると子どもというのは、人類の遺伝子みたいなものをずっと受け継いでいて、色んなものに対して意欲的に興味を持って試したりすることが面白くてしょうがないという風に育っていく。

それに対して「やめなさい、そんなものなんかに興味を持たないで」という風に言ってしまうと、子どもは「何か悪いことしてるのかな?いけないことしているのかな?」と思ってしまって、せっかく非認知的なスキルが伸びる盛りという時に上から押さえつけてしまう事になりかねません。そういう危険性があるのは、例えば下手なドリル型の早期教育、そういうのをやってしまうと、子ども自身は本当は別の事に興味があるんだけども、「ドリルをやらなければママが怖いから」「できたら褒められるのが嬉しい」となってしまって、ドリルをやることばっかりで世の中のことには何も興味も無い、という子になってしまってはまずいかもしれない。

好きなことを応援してもらった人たちのインタビュー
宇宙飛行士 山崎直子さん
・特殊メイクアーティスト Amazing JIROさん

そういう意味で、普通に育てていって、子どもの探索活動だとか遊びだとかを上手に応援していくという育て方をしていけば、非認知的なスキルは勝手に育っていくんです。

色んなものに失敗しても「なぜ失敗したのか」と理由を考えられるか、「もういいや」と諦めてしまうか。言い換えると、非認知的なスキルがもっと豊かに育っていくのか、それとも認知的なスキルを鍛える方の世界に入って行っちゃって諦めてしまうのかは、勉強が始まる小学校以降に表れますね。だから小学校以降になっても持ち前の非認知的なスキルをさらにレベルアップしていく、そういうことを大事にしてやっていけばいいだけで、何歳になったからどうとかいうものは特に無いんですよね。

ただ、僕らの言い方だと「受験エリート」にしてしまうような、要するにテストの点数を取るのが非常に上手だとか、そこで競い合っているようなケースとか、あるいは子どもは本当は他のことをやりたいんだけど、「世の中のことに関心を持つのはダメ」という風に育てられてきた子達がちょっと心配ですね。

やっぱり認知的なスキルも非認知的なスキルも上手に絡み合いながら育てていくというのが大事なんだということは間違いなく言えることです。

だから何歳だからこうだというのは無いと思うんですね。もともと持っている能力を豊かにしていくというだけなんです、非認知能力というのは。

だから学校に入ったからおしまい、ということじゃなくてね。

「うちの子、スニーカーばっかり集めて壁に飾ってる。なんであんなにスニーカーにばっかり興味持ってるのか分からないけど、興味を持ったんなら好きにさせてやろう」とやった子は面白い人間になっていく可能性がある。小学校以降、人間にとって大事なのは、学校の勉強が要領よく早く丁寧にできるだけじゃないというね、勉強も面白おかしくやるというのかな。

鉄道に興味を持っていて、でもあんまり漢字の勉強は好きじゃないという子に「日本中の駅の名前を全部漢字で書いて覚えてみようか」と実際にやらせたら、日本中の全部の駅を書けるようになったという、小学校4年生の子がいます。そうすると漢字はもうほとんど書けるようになった。

そういう風に、興味を持つと認知的なスキルも伸びていくということもありますからね。認知的なスキルも、非認知的なスキルも、両方とも育てていくんだというその事さえわきまえていけば、年齢というのはあんまり気にしすぎることはないと思いますね。


後編では、非認知能力と金融教育についての関係を深堀りしていきます
後編を読む


プロフィール

汐見稔幸(しおみ としゆき)

所属:一般社団法人家族・保育デザイン研究所 
肩書:東京大学名誉教授・白梅学園大学名誉学長・日本保育学会理事(前会長)・全国保育士養成協議会会長 

専門は教育学、教育人間学、保育学、育児学。自身も3人の子どもの育児を経験。保育者による本音の交流雑誌『エデュカーレ』編集長でもある。持続可能性をキーワードとする保育者のためのエコビレッジ「ぐうたら村」を建設。NHK Eテレ「すくすく子育て」など出演。 

最近の主な著書:『「天才」は学校で育たない』2017年(ポプラ社)、『さあ、子どもたちの「未来」を話しませんか』2017年(小学館)、『汐見稔幸 こども・保育・人間』 2018年(学研)、『0・1・2 歳児からのていねいな保育 全3巻』2018年(フレーベル館)、『保育者のためのコミュニケーション・トレーニング BOOK』2019年(ぎょうせい)、『これからのこども・子育て支援』2021年(風鳴舎)ほか多数。

ぐうたら村HP
https://gutara-v.net

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