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特殊メイクアーティスト Amazing JIROさん

これからの子どもたちに必要とされる「生きる力」を伸ばすためには、子どもの「自己肯定感」を高めることが重要とされています。では自己肯定感を高めるためにはどうすればいいのか?本インタビューではJIROさんの過去を読み解きながら、そのヒントをお届けします。

インタビュー動画

一部抜粋しています。是非お子様とご覧ください。

僕の絵を布団にプリントしてくれた

―子どもの頃の夢を教えてください。

Amazing JIRO(以下、JIRO氏):小学校の卒業文集で書いた夢が3つあったんですよ。刑事、獣医、あとは画家。一個ずつ言うと、刑事はドラマの西部警察が大好きだったっていうのと、獣医は本当に動物が好きで、毎日動物と戯れたかったっていうのが理由です。画家は幼稚園の時に画家の先生に絵を習いに行っていて、それが僕の中では得意だっていう自負があったんです。

その中で画家という道に強く興味を持ったのはなぜですか?

JIRO氏:実は僕の親戚の一人がイラストレーターで、エアブラシですごいリアルな絵を描く方だったんですよ。小さい時にそこにお邪魔した時に、かっこいいなって思ったっていうのはありました。

一個記憶に残っている小さい頃の面白いエピソードがあります。0歳から4歳までアメリカのLAの方に住んでいたんですね。その時に僕がいつも見ている番組が実写版のバットマンとか、テレビドラマでやっていた超人ハルクとか、スパイダーマンとかだったんですけど、僕が絵をしょっちゅう描くもんだから、それを母親が見て、布団に僕の絵をプリントしてくれたんですよ。それが結構記憶に残っていて。親としても絵が好きなんだっていうのを認めていて、多分せっかくだから布団にしようと残してくれたんだと思うんですけど。

幼稚園に通ってからも、「先生がやってる絵画教室があるから行ってみない?」と通わせてくれました。多分それは母親もそこの才能を見抜いてくれたのか、僕がすごい興味があるということが伝わっていたのかわからないですけど。

小学6年か中学1年生くらいの時、母親と外出からの帰り道に、何気なく将来について「美大とかもいいんじゃない、多摩美(多摩美術大学)とかね」みたいなことを母に言われた記憶があって、「タマビ」っていうワードだけ頭に残っていたんですよ。「タマビっていうところに入れば、その道では良いんだ。親はタマビに入って欲しいんだ」みたいな、なんとなくその感覚は残っていて。

高校では「将来はなんとなく進学するのかな」くらいフワッとしか考えてなかったんですけど、高校の2年生の時に、進路適性検査っていうのを高校で受けたんですね。で、僕は希望としては英文学とか、なんとなく堅めのジャンルの仕事を希望したと思うんですが、最終的に返ってきた結果は「美術」「体育」「音楽」っていう(笑)。これが確か1、2、3位だったと思います。

で、僕はやっぱり自分で表現していくことを仕事にしたほうがいいのかと思って、そこから当時入っていたサッカー部を辞めて、その春休みに美大進学のための予備校の春季講習に通いました。そこで「同じように美大を目指すという人達と比べて、自分が劣るようであれば諦めよう」位の感覚で行ったんですが、そこで描かされた絵とか課題がやっぱり面白かったんですよね。で、「こっちの道に進もう!」と思って美術の道に決めました。

有名進学校から美大への進路に、ご両親はどういう反応でしたか?

JIRO氏:そうですね、結構自分がやりたい事はなんでもやらせてくれる親でした。あとは自分で言うのもなんですが僕、結構何でもできるんですよ(笑)。器用貧乏というか。子どもの頃はクラスでもトップ3を取れるものがいくつかあって、勉強もそうでしたし、小学校は千葉県だったんですが、千葉県は相撲が盛んで、僕はヒョロかったんですけど学年で3番目に強かったですし、スポーツもサッカー部でレギュラーやってて、リレーは市の大会に学年から選ばれたり。美術も毎回絵を描くとコンクールで表彰されるみたいな、意外とまんべんなくできたので、そういう意味では正直何か自分の中で一つに決めるというよりは、「色々選択肢はあるな、その中で自分がやりたいことをやろう」みたいな感覚は、生意気ですけどありました。だから親は「好きなことをやれ」っていう感じでしたね。全然反対はなかったです。

褒められたいから頑張る、というのがベースにあった

ご両親はどのような方でしたか?

JIRO氏:父親は商社マンなんですが頻繁に色々な国に行ってました。なので、父は仕事でとても忙しくて、僕の教育に直接携わったという感覚はあまりなく、教育っていう意味でいうと母親がメインだったと思います。母親は内向的なタイプではないですね。外交的なタイプです。もともと神戸の薬科大学を出ているので、薬剤師の免許を持っているんですけど、父親と一緒に海外を転々としている時に、ダンスを習い始めてすぐに上手くなって、今はダンスのインストラクターになるみたいな。僕が日本に帰ってきたらもうずっとダンスで家にいなかったですね。だから僕鍵っ子だったんです(笑)。父親は海外、母親はダンスで不在がちというのもあって、いい意味で一緒にいる時間がなかったからか、ずっと反抗期もなく今でも良い関係性ですよ。

僕が中学1年生の時に、父親が仕事でサウジアラビアに駐在になったんです。で、僕は妹がいるんですが、妹が小学校4、5年生だったかな。母親と妹と父のいるサウジアラビアに行くかどうかを話していたんです。僕は「二人で行きなよ」って言ったら、母親は僕抜きで行くことを選択したわけです、妹を連れて。だから僕中学時代、中1の3学期から中3の3学期まで、家族と一緒にいないんですよ。なんで行かなかったのかと言うと、当時のサウジアラビアの外国人居住地みたいなところは日本人が住んでいるんだけど、娯楽施設もあまりなく、ちょっと寂しそうなイメージだったんで。

それと現地には日本人中学校がなくて、僕は高校受験もあるし、ちゃんと勉強しなきゃっていうのもあったので、「僕は日本に残ります」と自分で決めました。だから中学時代はおじいちゃんの家で生活していました。でも中学校の先生は大反対したみたいですね。母親から後から聞いたんですけど。「ありえない」と。中1の一番多感な時期に、両親がいなくなるってどういうことだってなったらしいんです(笑)。でも、僕は、「なんでこんな時に親がいなくなるんだ」とか「なんで一緒にいられないんだ」みたいなのは全くありませんでした。しかも中1から中2に上がる春休みに、カイロで家族で待ち合わせしてエジプト旅行したんですよ。僕は中1で日本から一人で行ったんですよ。何時間も飛行機を乗り継いでカイロまで行くっていう。もう客室乗務員さんがめちゃくちゃ驚いていて、「僕1人できたの!?」みたいな(笑)。 

反抗期がゼロかというと、思春期なのでゼロと言う訳でもなくて、僕の反抗期はおばあちゃんに向きました。でも、おじいちゃんが刑事なのですごく怖いんですよ(笑)。だからすごい反抗期みたいなのはなかったですね。やっぱりおじいちゃん・おばあちゃんに迷惑をかけられないっていう僕の気持ちもあったし。

なかなか貴重な経験ですね。

JIRO氏:ここちょっとまだ話していいですか?転校初日に自己紹介をするじゃないですか?その時に、「家族はみんなサウジアラビアに行っちゃって寂しいけど、ここでみんなと仲間になれるから楽しみです」って自己紹介をしたんですよ。そしたら、やっぱりその標準語が大阪に来たら最初ちょっといじめみたいな空気になって。僕、翌日からあだ名がサウジですから。僕は今でも大阪の友達に会うとサウジって呼ばれます(笑)。

だけど、おじいちゃん・おばあちゃんには迷惑をかけられない。なので自分の中で「自分でなんとかしていかなきゃいけない」というふうに色々自分で解決していけたっていうのも、今に通じているなとか思っていて。自分でおじいちゃん・おばあちゃんに迷惑をかけず、もちろん親にも電話すれば話はできるけれども、そういう事は言いたくなかったんで、「まぁ自分で何とか解決しよう」と色々と乗り越えていったっていう記憶があります。

余談ですが、転校して最初に座った席の前に座っていたのが今大阪府知事の吉村君です(笑)。あの頃は「よっしんよっしん!」って呼んでたんですけど(笑)。前から政治の世界に行ったっていうのは聞いていたけど、まさか府知事までなって、しかも今のこのコロナ禍ですごく色々な発言をして影響力のある人になっていたので、すごいなと思います。当時音楽発表会の時にはクラス代表で僕と吉村君が木琴に選ばれて、2人並んで毎日のように音楽の時間、木琴を合わせてやっていたんで、それが結構いい記憶ですね(笑)。

早いときからご両親はJIROさんの考えを尊重してくれたんですね。

JIRO氏:確かにそうですね。そういう意味では決して親が勝手に決めたことではなくて、毎回「自分がどうしたいの?」「何したいの?」とか、父親がサウジアラビア行った時も「どう思う?」って聞いてくれました。基本的には親は僕の意見を聞きながら、ですね。それをまぁ叶えてくれたし、僕自身も逆に親の叶えてくれたことに対して期待に応えなきゃいけない、という思いが常にありました。

でも決して変に「僕は僕」みたいな自立した感覚ではないです。親には常に気持ち的には甘えもあって、褒められたいから頑張るみたいなことがベースにありました。だけど学校に行くと、そこには親の知らないコミュニティがあって、自分という存在をちゃんと形成しようと思っていました。決して自立を早い頃からして、親との距離があるとかではなく、逆に褒められたいから自分は外でしっかり考えてやらなきゃいけない、というのが形成されていったのかなと思います。

周りの技術を吸収することで、自分の戦い方を見つけた

東京藝術大学卒業後、代々木アニメーション学院に進まれたのはなぜですか?​

JIRO氏:一浪して多摩美術大学に入って、そこではガラス工芸をやっていたんですよ。でも受験し直して東京藝術大学に入って、今度は金属工芸をやったんですよ。で、ガラス、金属工芸っていう、素材に縛られた状況でものを作るということに、ちょっと僕の中で疑問を感じたというか、何でも作れる人になりたいのに、その素材による向き・不向きもあるし、作れるもの・作れないものも出てくる。

大学3、4年位から、「何でも作れるようになるにはどうすればいいか」ということで悩んでました。そんな時にたまたまテレビで特殊メイクの特集があったんです。それは(映画の)「リング」「らせん」の特集だったんですけど、真田広之さんが内臓を抜かれているのにむくむく起き上がってくるシーンがあって、それを見て、「あ、こんなリアルな人間を作れる技術を学べば何でも作れる人間になれる!」と思ったのがきっかけで、そこからもうとにかく特殊メイクを調べました。最初はハリウッドの学校とか色々調べたんですが、日本の代々木アニメーション学院という特殊メイクの学校があるということを知り、そっちに行くことに決めました。

周りの人を見てプレッシャーを感じることはありましたか?

JIRO氏:いや、ありましたよ。やっぱりアートの世界って表現力と技術力ってあると思うんですけど。僕はね、技術に関して結構自信があったんですよね。細かい作業も昔から得意だったし。ただ表現の部分って、自分の全然知らないというか、違う価値観の表現が出てきたりすると、すごく魅力的に思えて。「あ、こんな表現したいのに自分ができてない」みたいなのはありました。

ただ、僕は器用貧乏タイプだったので、色々なことにまんべんなく興味を示して、何でもトライしたいタイプだったんで、人の「アレがかっこいい」「こういう表現がうらやましい」とかって思ったら、感覚で吸収していくみたいなところがありました。悪く言えば自分の表現っていうのは確立はできないんですけど、ただ、どんな表現にも対応できる力は身に付いていった気がします。

うらやましいとか、負けた勝ったとかっていうことではなく、もう僕は僕として、その幅を広げていくっていうか、「何でもできるっていうことが自分の中の自信」にすり変わっていったというか。だから、あんまり悔しいみたいな思いをせずに来れたのかもしれないです。

ライバルに勝つ!ではなく、ライバルの技術を取り入れて自分の幅を広げ、結果それが自信になったということですね。

JIRO氏:そうですね。でも常に「なんかずるい」「うらやましい」みたいなのはありますよ(笑)。その人にその表現において越えられないものがあったとしても、自分の中に取り込んでいきながら、逆に僕は他のものを組み合わせて表現の幅を広げ続けてきました。

だから戦い方としては、「色々な武器を出せる!」みたいな。刀1本で勝負したら「相手の方が長いし、よく切れる」かも知れないけど、僕の場合は、「だったらもう銃出すぜ!」とか、なんかそういう戦い方だった気がします。

設立後4年間は工場で風呂なし生活

特殊メイクアーティストとして成功されるまで、どのようなご苦労がありましたか?

JIRO氏:代々木アニメーション学院を卒業すると同時に会社を立ち上げちゃったわけですよ。ある美容室のオーナーさんとあるヘアーショーで出会ったことがきっかけだったんですけど、既存の会社に行こうと決めきれていなかったんで、自分で立ち上げるっていうのは僕にとってすごいフィットする考え方だと思って。すぐに「僕やりたいです!」と言って立ち上げたのが今の会社なんです。

ただ社会経験が1つもない中でいきなりその会社を立ち上げることになった訳で、どこに場所借りていいかもわからなくて、自分の中では作業がどんどん増えて、材料もあるし、社員も増えるし、みたいな勝手なイメージで100平米位の場所を借りたわけですよ、いきなり。で、家賃が150,000円だったんですよ。150,000円で100平米っていったらどんな所かって言うと、ほんとに壁は波板で、上からも直射日光がガンガン差し込んで、夏なんて外より暑いんじゃないか?と言う所でした。しかも営業方法も知らない、ホームページもない、一応電話線は引いたものの、待てど暮らせど仕事の電話なんかないわけじゃないですか。だから家賃が払えないので、その工場の一角にベニヤ板を敷いて、結局4年間そこに住んでいたんですね。お風呂もないんですよ。トイレはあったんですけど。冷暖房もなくて、水だけ出る蛇口が1つあったんで、風呂はその流しで体を拭いてとかっていう生活をしてました。

だからもうホント無給で家賃を払うためだけに仕事して、そのうちだんだん物の価値もわかってきましたね。僕がこんだけの仕事をして、こんだけのお金をもらわないと家賃と自分の給料がもらえないんだっていうのは1年目は気付けなかった位ですからね。2年目に何か気づき始めた位の感覚で(笑)。経営者としてはゆーっくり階段を上っていったようなイメージです。

それでも、この道を諦めなかったのは、なぜでしょうか?

JIRO氏:僕が会社を立ち上げた時、その美容室のオーナーは美容室の仕事があるんで、僕の特殊メイクの会社には一切ノータッチ。でもヘアーショーなんかの仕事はオーナーが優先的に回してくれました。だから一応継続的に何かやる事は常にありました。仕事もないしやることもないっていう状態だと辛かったと思うんですけど、お金は稼げないですけどやることはあったんですよ。それがまず1つ良かった。で、そのうち例えば自主制作映画の依頼など、どこも断るような安い仕事が来たりするわけですよ。そこで「金額に合わせたものを作る」っていうことをしなかったことが、もう1つの良かったことですね。

もらった仕事をその価格に合わせてやるのではなく、5万円の依頼でも、10万円、20万円、30万円の価値があると感じてもらえるように仕事しました。僕らの精一杯を作って、それをちゃんと武器に変えていく、種まきの時期だと思っていたんで。ほんと365日毎日のように製作していました。さらに僕の代々木アニメーション学院の同級生である、今も僕の右腕でやってくれている小松というのがいるんですけど、その小松がいてくれたのもすごく大きくて。彼も無給で。彼、特殊メイクの道に入る前は自衛隊だったんですよね。で、自衛隊の時に貯めてたお金を切り崩しながら、一緒にその会社を手伝ってくれていたんですよ。で、彼がたまに「このままじゃダメじゃないか」と、「もう続けていけないよ」みたいなことを言うんですが、僕はそこに反発をして、「いやいや」と。「今種をまいているんだから」と。「来年はこれが少し育つだろう」と。「再来年はもっとたぶん育っていずれ花が咲く」ということを力説しながら、二人でやっていきました。

あとは僕元々そういう切り替え思考が得意なんだと思うんですけど、ストイックな生活をしているっていうことをかっこいいと思えるんですよね。恋愛していても、ふられた瞬間超かっこいいなと思えるんですよ(笑)。ふられた後に、街角を軽く小雨が降って街灯が滲んでみたいな所を歩いているこの瞬間が1番かっこいいんじゃないかなみたいな。なんかそういうふうにポジティブに置き換えることで、マイナスな要素っていうものを自分の中で消化していけたみたいなのは、ひょっとしたら特殊能力かもしれないです(笑)。

どんなに安い仕事でも精一杯の力で仕事をしていた

特殊メイクアーティストとして活躍できたのはなぜだと思いますか?

JIRO氏:難しいですけどね。やっぱり僕がなれたのは、基本的に100を求められて発注されたものを、なるべくそれ以上で打ち返すっていうことですね。予算のない仕事とかでも、結局自分たちの作ったものが人に見せる営業ツールであり武器になるわけだから、手を抜かなかったって言うところが大きいと思います。

その当時、特殊メイクってそんなに稼げる仕事じゃなかったんですよ。なんとなく特殊メイクは「こういうものを、これぐらいの金額で作る」みたい基準値があるんですが、僕はその基準値みたいなものよりも全然低い仕事が入ってきても、精一杯の力で打ち返していました。するとある時同級生とか先輩とかに言われたんですよ。「特殊メイクの価値を下げないでほしい」と。ただ僕は特殊メイクを安売りしているわけではなく、その安い仕事に対してすごいクオリティーの良いものを収めているんだから、僕は価値を下げてないっていう感覚だったわけですよ。

その当時のレベルは今よりも低いんですけど、人にそう言われても一切めげなかったというか。僕はもうどこも断った仕事でも、僕のところに来たのであれば、そこに対して精一杯で良いものを作って返そうっていう思いがその時すごい強くって。だからそういう気持ちで仕事ができる・できないというのは、独立も含めて、自立した特殊メイクアーティストになっていくっていう事に、すごく重要だったんじゃないかなと思います。

特殊メイクアーティストは、誰に向けたお仕事なのでしょうか?

JIRO氏:特殊メイクは、基本的には、映画などの中でその役者さんが表現できないキャラクターを、僕らが特殊なメイクをすることで、その演技ができるようになるっていう技術ですね。だからその映画で演じる俳優さんとか、それを作っている監督さんとかに向けた仕事です。そしてさらにその先の映画を見てくれる人たちに届けるために、僕らはリアルなものを、ホラー映画だったらより怖いものを作り出しています。

ただ、それはあくまでも一般論です。僕は何でも作れるようになりたいからこの道を選んだんですね。本当は分野・カテゴリーみたいなものは一切なくて、特殊なものを何でも作れる人間が特殊メイクアーティストなんです。求められれば、どんなオファーであっても作りたいと思うし、逆に求められなくてもこんなものができるんだっていうのを常に発信していかなきゃいけないし、そうしていきたいし。特殊メイクには新しいものを生み出せるっていう未来があるんで、どんなものでも全て作り出していくのが、僕の中での特殊メイク・特殊造形の仕事だと思っています。

天使のように大胆な表現力と、悪魔のように繊細な技術力

特殊メイクアーティストになるためには、どうすればいいですか?

JIRO氏:特殊メイクに必要なのは、自由な表現力と、ほんとに細部まで作り込む技術力だと思うんですよ。これを僕はね、「天使のように大胆な表現力と、悪魔のように繊細な技術力」って言ってるんですけど。要は、見ている人がそれをどう受け止めるかとかっていうことが、ちゃんと想像できる人間がすごく向いていると思っています。表現は悪魔のように繊細にだから、ほんとに「こんな細かいとこまで?」という部分までネチネチやる作業っていうのが特殊メイクは非常に重要なんですけど、その2つを併せ持たないと、特殊メイクとしては一人前になれないと思うんですよね。

だからそういう意味で言うと、自由な表現と、コミュニケーションがちゃんと取れる人でないと、それこそ客観性を持てなかったりするし、そこの両方を同時に育ててあげられれば、発想力豊かな子に育つんじゃないかなと思います。全てのことは自由な表現につながると思うんで、その子のやりたい、観たいというものをなるべくやらせてあげることが、たぶん結果的には色々な表現ができる人間に育つんじゃないかなと思っています。技術に関しては、まぁ僕の場合褒められて育つタイプなんで、もう基本的にやっぱりできないことができた時には、しっかり褒めてあげることがすごい重要かなと思います。その経験って多分ずっと大人になっても残っていくし、常に自分の中で挑戦してブラッシュアップしていくっていう習慣が小さい頃から身に付くと、一生追求していけるのかなって思います。

あと、自分で経験していないことを、誰かが言ったことを聞いたことだけで納得してチョイスしてしまうのはすごくナンセンスだなと思っています。僕は何でも一旦は自分でやってみて、「なるほどこういうことか」「逆にうまく使えばこういう表現には使えんじゃね?」というふうに、自分の中で新しい技術として見出したりしています。だからそういうチャンスを逃してしまうのは、すごくもったいないなと思うんですよね。表現の世界には正解はないので、「こっちがいいじゃん」ていうのは、その先生の思いとか、みんなそうしてきたからそうする、みたいなものしかないんです。それだと何も変えていけないし、自分の表現が生まれないと思うので、僕は生徒にも「やってみたらいいじゃん」って言っています。たまたま僕が予備校で美大目指してた時の先生がそういうスタンスで教えてくれる方がいて、僕はすごく助かったんですよ。「失敗したら失敗しただけ」っていう。ただそういうふうに言うと、「教え方がいい加減だ」「ちゃんと教えてくれない」って言う生徒達ももちろんいます。でもそれはちょっともったいないなと思いますね。

会社を一緒に立ち上げた美容室のオーナーが教えてくれた言葉に、「常識は18歳までに培われた偏見のコレクションである」っていうアインシュタインの言葉があります。僕は常識を知った上で、あえて違うことをやっていく。そこで知ったことをまたその常識と結びつけて新しいものを生み出すとか、そういう感覚がすごく好きだし、そこで自分が成長してこれたなっていうのがあるので、今の若い人達も、ただただ教えられたことだけをやるのではなく、自分の中で色々なトライをして、新しいものを生み出していって欲しいっていうのがあります。

僕がスクールで1番最初に教えるのが、デッサンなんですよね。自由な発想ってさっき言ったけど、じゃあ自由な絵を描けば特殊メイクになれるのかっていうとそうではなくて、やっぱり観察をして、自分の中でちゃんと理解して、それを描き写す。その訓練っていうのがすごく重要で。これは表現と技術のちょうど中間にあることで、ものすごく重要なんです。目をつぶってリアルな猫を想像しろって言われたらみんな想像できるイマジネーションを持っているわけですよ。想像できるじゃないですか、可愛い猫を。だけど頭では思い描けてるのに、鉛筆を持って描けるかっていったら描けないんですよ。だからそこは訓練だと思います。実物を観察して目に入ってきた情報を描くっていう訓練ができてなかったら、想像したものを描くなんて、絶対できないので。そこに関しては、特殊メイクのアーティストにとってはすごく重要なことだと思います。それも、色々なものを観察する、特殊メイクだから骸骨とかばっかり描いていてもしょうがないんですよ(笑)。色んな動物見たり、植物見たり、色んなものの形を理解して、「あ、こういう形になっているんだ」っていうことを理解していくことが、複合されて色々な自分の自由な発想を具現化するための武器になっていくということです。「絵なんて才能でしょ」って言われるんですよ。僕は小さいころから絵が上手かったんで「努力だよ」って言い切れないんですけど(笑)。ただ僕が教えていて、最初は全然上手くない子が、すごく上手くなっていったのを何度も見ているんで。そこに関しては絶対に努力でカバーできる。才能超えるっていうものではあると思います。

まだ「なりたいもの」が決まっていない子どもに対して、アドバイスをください。

JIRO氏:進路適性検査を受けてみるべきじゃないかな(笑)。まぁそれは冗談として、すごく難しいんですけど、ジャンル分け、カテゴライズされているっていうものから選ぶというのが僕は正直ナンセンスだと思っているんですよ。何をやりたいかで決めるべきであって、何になりたいかで決めちゃいけないのかなって思います。だから自分が好きなもの、やりたいこと、これなら努力できる、これなら上手くなれるみたいなものが、そこにジャンルがなければ、自分で作れば良いと思います。

既存の会社や職業が、現在やっていないことでも、自分がそこに入ることで変えられる未来っていうものは創造できるし、変えていかないと面白くないじゃないですか、正直。だから、まずは自分が何をやりたいか、何が得意かとか、何が好きかを追求して、その先に仮にそのカテゴライズされたその職業があるんだったら一旦選んで、その中でも自分が思うように変えていけばいいと思うし、逆にカテゴライズされた職業に自分のやりたいことがなければ、自分自身で作ればいいと思います。

要は自由(笑)

ハロウィーンを控えていますが、ご家庭でもできる特殊メイクを教えてください。

JIRO氏:そもそも特殊メイクって、もう亡くなられちゃったんですけど、ディック・スミスっていう方が、映像の中で特殊なキャラクターを生み出そうとして考えたものなんですよ。今じゃ不衛生だからやっちゃいけないですけど、当時は生肉を顔に貼ったりとか、卵の殻の内側の薄皮を丸く切ってコンタクトレンズ代わりにはめたりとか、そういうところからスタートしました。だから家庭にある身近な物で色々試してみればいいと思います。

ケチャップでもいいし、ティッシュをつけまつげ用のノリでグジュグジュにしたものを貼り付けてみるとか。大事なのは、さっき言ったように、色々なものを日頃観察しておくことですよね。自分が色々観察して持っている情報があるのであれば、材料が何であれ最終的に目に見えてくるものをリアルにしていく手段はたくさんあると思うんですよ。逆に言うとそこで家庭にある物の方が、プロの特殊メイク素材にはない可能性もあるので、そういう発見は大事じゃないですか。実際そういうものを使ったほうがリアルに見えるっていうこともあるんです。

例えば僕らは粘土彫刻やる時に、犬用のブラシを切ったりして細かいシワや角質の流れを作ったりします。細かい毛穴とかだったら、防音用のクッション材を切って押し付けて毛穴を作ったりとか。それってもともとは特殊メイク用に生み出されたものでは決してないですが、誰かが経験してその方法を生み出してきている。だからさっき言った、常識にとらわれて教えられたことをやっていたら生み出せないものだったと思うので、専門的な知識がなくても自分なりの手法で生み出すということをトライすることが、最終的に専門的な技術とかを学んだ時にもすごく生きてくると思います。要は自由です(笑)。

現在はどのような活動をされているのでしょうか?

JIRO氏:6年前位から始めた特殊な材料を使わず、ペイントとかメイクだけで変わったものが生み出せるというアーティスト活動ですかね。誰もやっていないメイク、誰もやってない表現というのを常に生み出していこうと思ってやっています。さらに特殊メイクとかビューティーメイクとかカテゴライズせずに、メイク全般に関わる人たちに特殊メイクに限定せず広く伝えていけるような事は今後していきたいと思います。

あとはアナログを追求していきたい。今僕らはこの時代にアナログとデジタルの両方を手にできてるっていうのは、すごくメリットのあることだと思っていて。アナログしか知らないから、デジタルにドンドン食われていくみたいな悲観的な見方をしちゃうと、多分この先全然未来が明るくないというか楽しくないじゃないですか。その先にデジタルの世界があるんですけど、そことアナログをうまくミックスして、今しか生み出せないものっていうのが絶対あると思うので、今後どんどんそういう新しい物を生み出していきたいと思っています。

だから、要は、何でもやろうと思っています(笑)。自分がその表現できて、そこに持てる技術を全て費やせるのであれば、ジャンル関係なく色々なことに挑戦してやっていこうと思っています。

プロフィール

東京藝術大学卒業後、特殊メイクの道に入り、有限会社自由廊を設立。現在では特殊メイク・造形製作にとどまらず、映画、ドラマ、CM など映像業界をはじめ、広告、イベント、ファッションなど、ジャンルを超えて多方面で活躍中。独自の哲学に基づいた豊かな表現力、確固たる技術力から、改革者として注目を浴び、国内外で評価を得ている。TV東京系「TVチャンピオン」特殊メイク王選手権で2連覇を達成後、認定チャンピオンとなる。 世界70カ国で読まれている『Make-up Artist Magazine』にて「世界の注目アーティスト10人」に選出。2015年、TBS系「マツコの知らない世界」に出演。2016年にはTEDにて講演を行う。 近年では、デザインや監修を務め、プロジェクト全体を指揮するクリエイティブディレクターとしても力を発揮している。

<この1年間の活動事例>
山下智久 MV「Nights Cold」アンドロイド製作
米津玄師 MV「カムパネルラ」ボディペイント
OZworld MV 「AKIRAメナイ」スペシャルメイクアップ
yukaDD MV 「Bubble Up」メイクアップ
GLIM SPANKY MV「東京は燃えてる」フェイスペイント
ロシア雑誌「KIMONO magazine」カヴァー 作品掲載
マイアミ展示会「Art Wyn wood」Jonas Lericheとのコラボ作品展示
「PASHA STYLE Vol.5」作品掲載
L.A イベント 「INTER NATIONAL MAKEUP TRADE SHOW」ゲストデモンストレーター
台湾メディア「自由時報」作品紹介
Instagram公式にて作品&インタビュー掲載
NHK「クイズ!ニアニア!」出演
TBS「もしもAI動画大賞」出演
テレビ東京「内村のツボる動画大賞」出演

特殊メイク・造形工房『自由廊』https://jiyuro.net/

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